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2021.10.13

A-0127. 推敲について — T.T

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推敲について

発行:エスオーエル株式会社
https://www.sol-j.co.jp/

連載「X線CTで高精度寸法測定!?」
2021年10月13日号 VOL.127

平素は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。
X線CTスキャンによる精密測定やアプリケーション開発情報などをテーマに、
無料にてメールマガジンを配信いたしております。

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今回は、文系の記事を書いてみます。

あまり、「文系」「理系」という区分は好きではありませんが、
何かを話して伝える時には、便利な区分です。

そもそも、人間同士が何かを伝え合うには、
伝えたい何らかの概念の集合と単語の「対応」を使う必要があります。

つまり、文系の本質には、「集合」や「対応」が関係しています。

  このような話を書いていると、話題が次々と湧いてきます。
  話したいことが多すぎて、困ります。
  話題の焦点がボケると、伝わりにくくなるものです。

  今回は、「推敲」という故事について書きたいのですが、
  「蛇足」についても書きたくなりました。
  でも、蛇足になるので「割愛」します。蛇足の故事は有名ですし。

  ちなみに、割愛とは、省きたくないけれども、やむなく省くという意味です。
  なくてもよいものを省く場合は、「省略」と言います。

  それから、文系や理系に対して、「芸術系」という話もしたい。
  そして、「文系」に関連して、「類推」や「圏論」の話もしたい。

  優れた数学者は文学者だという話もしたい。
  「ウィトゲンシュタイン」や「ラッセル」の話をしたい。
  「アンドレ・ヴェイユ」を始めとした、「ブルバキ」の話は尽きません。


私自身は、小学生の頃から実験少年で、
高校は理数科で、大学と大学院は理系で、理系の典型のような人ですが、

中学高校と一番好きな科目は、「国語」でした。

全てを憶えているわけではありませんが、
小学校1年生の国語の授業で先生が言ったことを憶えてい たり、
多くの国語の授業内容を憶えてい たり します。

 (「たり」を単独で使用しないというこだわりもあります。)

高校の時の定期テストで出題された「演技する精神」山崎正和 著
の抜粋が忘れられず、10年以上経ってから、絶版なので、
ようやく古本で入手したということもあります。
今でも、読み返します。哲学的に考えさせられる良書です。

古文や漢文も好きです。
丸暗記に苦手意識があったので、学生の頃のテストの結果はイマイチでしたが、
授業は楽しく、結構憶えています。今でも古文や漢文に興味はあります。


さて、今回の本題は「推敲」でした。

仕事では文章をたくさん書きます。(人の書いた文章チェックも多いです。)
思うままに書くと、脱線しまくり、話題が次々と飛ぶ「乱文」になります。

  思わず「散文」と書きそうになりましたが、
  「散文」の対義語は「韻文」で、「散文」は「乱文」とは別概念です。

ビジネス文章は、結論から書き、簡潔明瞭を心掛けます。
そのため、何度も読み直し、さらに時間を置いて、「推敲」します。

「推敲」とは、文章を何度も練り直すことです。

それが、不完全だと、駄文になったり、
冒頭で触れた先月の記事のように、誤りを含んだまま出すことになります。


つい先月、「推敲」の故事を知りました。

いろいろな言葉の由来(特に故事)には敏感な自分が、
よく使う「推敲」という言葉の故事を知らなかったことに驚くとともに、

「推敲」の故事の内容に驚きました。

感動した部分の概略をお伝えすると、

  むかしむかし、カトウさんという人がいました。
  役人になるテストを受けるために、都に出てきました。
  移動中のロバの上で、「月明かりの下で、僧侶が門をおす(推す)」
  という詩を作りました。
  しかし、「月明かりの下で、僧侶が門をたたく(敲く)」という案も
  思い付きました。
  悩んでいると、都知事の行列にぶつかってしまいました。
  カトウさんは捕まり、都知事のカンユさんに事情を話しました。

  すると、カンユさんが「『敲く』が良い」と言い、意気投合しました。

というお話です。

読んだ直後は、「ふーん、知らなかったなぁ」という感想でしたが、
しばらくして、衝撃を受けました。

カトウさんとカンユさんのやり取りの情景が映像として脳内に浮かんだのと、
「推す」と「敲く」の違いがこれもまた自分の脳内で構成されたからです。

「カトウさんが脳内で、情景を思い浮かべている様子」を思い浮かべます。
カトウさんは、僧侶が門を推す様子と敲く様子を比較しています。

そして、カンユさんが選んだ「敲く」を思い浮かべると、
映像だけでなく、音が聞こえます。

音が聞こえた段階で、視覚的な場面描写だった情景が、
触覚、嗅覚(文章中にはないのですが)まで呼び起こされ、
時間の流れまで感じられるようになります。

  音が出ることで、逆に静けさも強調されます。

門を推して一人で通過したのではなく、
門を敲いて誰かが出迎えた情景であれば、一層描写は深まります。


この故事を文学的に正確に解釈すると、
自分の脳内に展開されたイメージは、不正確かもしれません。

しかし、この故事を読んで、自分の脳内に広がったイメージは、
文字情報に刺激されて生じた「対応」であり、

衝撃を受けた事実は変わりません。

何よりも、「敲く」を選んだカンユさんが天才的です。  ←文系的?
(直感で「敲く」を思いついたカトウさんも凄いです。) ←芸術系的?


--
高野智暢

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